観光の最近のブログ記事

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尾道駅の東側には国道2号線に平行して、
古くからの商店などが立ち並ぶが閉店しているものも多い。
国道以外の道路は狭隘なものが多く、周辺は北側は山・南側は即海である為平地が少なく山肌に住宅や寺が密集している。
このような地勢が「坂の街」と言われる所以であり、映画のロケ地として多く使われた。

尾道地区は空襲の直前終戦を迎え戦火を免れたため、
西の小京都と呼ばれるほど多くの大小の寺が今もなお点在している。島嶼部は海や植物等の自然に関するレジャー施設が点在する。

尾道といえばラーメン・・・。

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松山まで一時間ちょっとで行けます。
でも片道¥6900とちょっと高め。
呉海上自衛隊沖では、様々な艦船や、潜水艦を見ることが出来るみたいだから子供がいたら喜びそう!!

宮島の歴史は、厳島神社の歴史に始まるといっても過言ではありません。
かつては、人が住むことを許されなかった宮島も、中世になると厳島神社に仕える人々の家が建てられ、戦国時代には神社の関係者以外の人も住むようになりました。
江戸時代には、参拝者が多く訪れ、島内は観光地として賑わっていきます。

この島に、海に浮かぶ社殿が創建されたのは推古天皇の時代(6~7世紀)だといわれていますが、今のような優雅な姿に改められたのは12世紀で、1168年(仁安3年)に平清盛によって社殿が造営されました。
その後、たびたび火災や高潮、台風、土石流などの被害を受けましたが、そのつど鎌倉幕府や室町幕府の庇護を受け復興。
現在の本社本殿は1571年(元亀2年)に毛利元就が建てたもので、本社を中心に、客神社、門客神社、大国神社、天神社などの各社が配置され、朝座屋、高舞台、楽房、能舞台などが、その間に設けられています。

ほとんどの社殿が朱色なのに、色の違う建物が点在しているのは、建てられた時代が違うからだとか。
また、内侍橋、長橋、反橋などの橋が架けられ、東西あわせて約300mの廻廊がこれらを結んでいます。

満潮時には、海に浮かぶように見える厳島神社。
潮の干満を利用した設計は、海上木造建築物としては例がなく、国際的にみても珍しいもの。
世界文化遺産の登録に際しては、建造物と自然の一体的な価値の高さが評価されました。
社の後ろにそびえる弥山、前面に広がる瀬戸内海の雄大さと寝殿造りの粋を極めた荘厳華麗な建築美は、訪れる人を宮廷文化へと誘います。


ちなみに江ノ島、竹生島とならぶ日本三大弁天でもあるらしい。

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正式には「厳島」という。「宮島」、「安芸の宮島」は通称。

日本三景のひとつとして知られる景勝地。
古代から島そのものが自然信仰の対象とされ、平安時代末以降は厳島神社の影響力の強さや海上交通の拠点としての重要性からたびたび歴史の表舞台に登場した。
江戸時代中期からは、日本屈指の観光地として栄えてきた。現在では人口1800人余りの島に、年間300万人近い参拝客・観光客が訪れる。

景勝地としての厳島の中心は、厳島神社である。
海上に浮かぶ朱の大鳥居と社殿で知られる厳島神社は、平安時代末期に平清盛が厚く庇護したことで大きく発展した。
現在、拝殿・廻廊・能舞台(いずれも国宝)などのほか、建造物はすべて国宝または国の重要文化財に指定されている。
皇族・貴族や武将、商人たちが奉納した美術工芸品・武具類にも貴重なものが多く、中でも清盛が奉納した「平家納経」は、平家の栄華を天下に示すものとして豪華絢爛たる装飾が施されており、日本美術史上特筆すべき作品の一つとされる。

厳島神社および弥山(みせん)原始林は、1996年に世界遺産に登録されている。

厳島神社って行ってみたいんだよなぁ・・・。

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原爆ドーム(げんばくドーム、英:Atomic Bomb Dome)の名で知られる広島平和記念碑(ひろしまへいわきねんひ、英:Hiroshima Peace Memorial)は、日本の広島市に投下された原子爆弾の惨禍を今に伝える記念碑である。


もとは広島県物産陳列館として開館し、原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれていた。

ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されており、"二度と同じような悲劇が起こらないように"との戒めや願いをこめて、とくに負の世界遺産と呼ばれている(「負の世界遺産」という表現そのものには厳密な定義はないが、他にアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所や、バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群などがその例とされる)。

戦争の記憶がどんどん風化されている中、
こういうところは次に伝えるために保護していきたいですね。